masaki’s diary

考えは時と共に成長していきます。ここで思いとは成長ではなく気づいて行くことだと感じます。幼少期には氷山の一角しか見えていない思いが、歳を重ねるごとに全体像を知って行くのではないでしょうか。

本音

自身の本当の思いに自分自身で気付いている人間は少ないと思う。 この世界に一人の人間として生を受けて、数々の迷い、不安、執着心などと戦い続けて葛藤をしながら生きている人間模様が世相です。 つまり煩悩の中に本当の思いは隠れているのではないでしょうか。 私は客観的に自身を俯瞰した際に、まるで第三者の他人が私の心中を除いているかのような面白さを覚えます。 それは私自身でさえも今まで気が付かなかった、新しい思いを発見することです。 その思いに自分自身で気づいた際に、可笑しなものですが自分で自我を慰めてあげたいと思います。 更に自分を動かす最大の原動力は自身の思いです。 その思いに気付こうとする行動をひたすら繰り返すことが、後に人生を悔いのない素晴らしい時間へとします。 私が常日頃感じることは頭で思うことと、心で思う、または魂が思うことには多少の差異があると思っています。 なぜかというと頭つまり脳は物質であり、心、魂は精神的なものだからです。 ここで脳と魂は密接に連携していると思います。 脳が物質であるということは常に機械的な考えを生みます。 対照的に魂は精神的なものなので感情的な思いを生みます。 これが私なりの思いと考えです。 物質は直ちに気が付きますが、対照となる精神には中々気が付くことはありません。 それが自身の精神であっても全てを知っている人間はごく少数でしょう。 例えば死ぬ寸前の人の心情とはいかなるものでしょう。 恐らく走馬灯のようにあらゆる記憶が蘇り、懐かしくまた嬉しい思いを感じ、最後は後悔の念にさいなまれるでしょう。 誰かを苦しめ傷つけたことに対してです。 当たり前のように生きている人達にもこのような経験はないでしょうか。 突然なぜだか悲しく寂しい気持ちになることです。 脳では解明ができない感情に触れる機会は人生に沢山あります。 脳とはつまり体内にある情報処理機関です。空腹を感じることや怪我をしたときに痛みを感じることも脳からの信号でしょう。 しかし脳に何かしらの情報を送らないと処理もできません。 ここで他者を思うという情報を脳に送ると優しさという気持ちに変換するでしょう。 注目すべきは精神的な情報を送っている根源を知ることです。 それにより人は数多くの大切な出来事を人生という限られた時間の中で成すでしょう!